昭和54年10月1日 月例祭御教話 え...いかに 合楽理念が助かりの理念だと申しましても え..それを..覚えただけではいけん。それを、やはり本気で行じなければいけません。行じてますと、こんなにも解り易く説明してあるのに 行じて見ると..ん..又解らない所が出てまいりましたり、または迷いが起こったり致します。その解らない所を押し破るようにして、そこを次の道を辿らせて貰う。信心はもう限りがありません。又迷いが起こらせて頂いて 初めていわば悟りと言うものが開けて来るんです。だから迷うたままではいかんのです。解らないからというて そのまま放任してはいけんのです。そこん所を..ね 極めていく。ためにはやはりそれが楽しみ 信心の力が頂けて来る。信心のお徳が受けられてくることが、自分の心にも感じられてくるというような お陰を頂いて来ますと、自分の信心が一段一段と進んで行く。上達して行くことが自分でも感じられます。だから信心が楽しいのです。又は愉快にまでも成れるのです。今日、え..朝の御祈念の時でした。 ある、商社の方がお届けに参りました。最近どうも赤字が続いておるという 合楽では御造営 御造営という掛け声も..聞こ..ん卦けられて居るのに、ん..中々御用も出来ない。そこで、先日から、あ..社員の人が集まってよりよい協議をさせて頂いた。どういう所に普請の基があるのだろうかと云う訳です。そこで今日、お届けを致しました人が、出来んからというて放任して居っては、いよいよ出来ないだろうと、ここに出来ん中からでも 止むに止まれんという思いで 何がしかでも ひとつ御造営の事に全社員で、これに当たらせて頂いたらどうだろうかと言う案を出した。所が社長が言われるのに「 あんた達そういうことを言うけれどもねぇ。例えばお金のない者に金を出せとか..ね、赤字続きであるのに御用を頂けとかと、そういうこの神様は小さい神様じゃないよと。まちっと大きい所に観点を置いて信心しなければだめだよ。」とまあ言われました 他の社員は、全部私の云うことに賛成してくれたけれども 社長だけが「そんな小さい信心じゃだめだ。」と言うたと言うのです。迷いが起こりますね。どっちが本当だろうかと思います。そこで 私もそれをお届けさせて頂いて はあ なるほどどちらにも一つの理があるなあと( ? )決して 借金までして そのお供えをせろとか、その形で損しておるのに そのお供えをせろとかというような言う神様ではないけれども これは信者 氏子の側からとしてこれは、まあ 私が辿らせて頂いた信心の過程を思うてみた。私のは まあいうならば間違っていなかった。只今日の繁昌に繋がっておる。例えば御大祭 もう御大祭の祭典費はお供えしたけれども..ね、今度の御大際に、何にもお供えする物がないと あれこれと思い悩ませて頂いておる所に神様は、私共の食べねばならない。そこに.あの 倉庫には遅配欠配で大変激しいことでしたが、その一丁の 一丁足らずのメリケン粉がありました。神様はそこにあるじゃないかと言うてくださった..ね。だから 神様って言う方はそういうところがあるんです。こちらが本気で止むに止まれぬと言う思いがあるなら そんなら自分の身の皮はいででも、人事ではないほど、家内子供が待っておる。その間に持って帰らなければならない。しかもお知らせに これがないならば あ..まあ( ? )するような事にもならんとも限らんぞ。というようなお知らせまで頂いておったけれども その事は神様あなたにお任せ致します。家内子供の事は、もうお任せ致します。 私にとっては、いうならば年に一度の御大祭 いや御大祭はお迎えがあるということではない。春の大際は一回、秋の大際は一回ですから..ね。やっぱ年に1回は御大際ある。その一回の御大祭に、お供えも出来んという事は 今も今とて思うたおった。今度の大祭には 何にもお供えするものがなかっいたが、本当に神様から気付かせて頂きゃ ここに一表のメリケン粉があったと言う、思うたら いわゆるここにあった。お供えが出来るとこう言う風に思うた。決めた そしたら神様 それをお供えしょったら子供達が( ? )するがよいかとこう教えてくださったけれども..ね。子供のこと もう神様にお任せします。と言うのが私の生き方であったが間違っていなかった証拠に..ね。御大祭 御用終わって帰った時には、それこそ光るようなあの あちらのアメリカの真っ白いメリケン粉をある方が、もう本当に思いもかけない所から..あ..頂いた..あ..体験がある 信心体験なんです..ね。だから私の生き方が一事が万事そういう生き方で来ておりますから、今日のそこの社長が言われる金光様の、ご信心はそんな小さい教祖様じゃないよと子供がそれこそ( ? )泣きよっとにどうしてそげなにお供えするかと 教祖様はそんなことしたら喜びなさらん。けれどもね。氏子の心の中からね。止むに止まれずと言う思いは これは神様が受けて下さる。そしてその心を育ててくださる。又育てなければならないのです。其の事を私は今日研修の時に頂いて 皆さんに「あなたがた、今日はこう言うお届けを願った人があったが、あんたがたどう思うか」と大変難しいからから一人一人に聞いてみろうと思うた。一番前に光昭がおりましたから、「光昭さんあんたどう思うか」というたら、「成る程、大きな信心ごたあるけども その方の信心は大きな信心でなくて そりゃおおざっぱじゃないでしょうか。」とこう言うた。もう私は、他の者に聞くことを止めました。ああ..確かにそうだということなんです。 おおざっぱんなんです。皆さん..ね、そういうとこなんです。そういうとこでね..皆さんがもし あの普請にあったり、迷うたりするなら 自分の考え方は、おおざっぱな考え方ではなかろうか。自分を中心にした考え方ではなかろうか..ね信心はどこまでも神様を中心に申しあげるという事なんです。だから神様が、又氏子中心の働きを現してくださる..ね。もうどうにも こうにも出来ない、難儀な問題を三代金光様に御取次ぎをお願いして頂いたら、初めて三代金光様から御理解を頂いた。それは「氏子が神様任せなら 神様が氏子任せになると仰せられますから」と言う御理解でした。「氏子が神様任せなら 神様が氏子任せになると仰せられますから」と仰る。私共のいうなら願いが成就したというた所で大した事じゃないけれども..ね。神様が私中心に働いてくださる事になったら、もうこれは限りがありません。今日の合楽のお蔭は、いわば限りないお蔭に繋がって、まだどこまでお陰に頂いていくか分かりません。合楽建設の願いというのは、今ここで御造営が出来ておる、これでおしまいではありません。あれは信徒会館が出来ておるのであり..ね。合楽建設の中の一部である..ね。大坪家の礼拝堂が出来ておるのであり。先生方の教職舎が出来ておるのであり、それに、つづいて又、奥城が出来なければならんが、これはずーとそれこそ南米にも繋がっていくことである。合楽建設というのは...ね。だから、合楽建設の( ? )ついたというくらいのものですから、まだまだ限りがありません。そういうお陰が受けて行けれるいうならば基礎のようなものが、私の過去の信行を思うて見る時に 「ああ..ああゆう時にそういう信心の基礎が出来ておったんだな」と思うのです...ね。いかにも、悟りすまたようにあり、大きな信心のようにありますけれども、それはおおざっぱなのだ。目が荒すぎる。だから..ね、来る月も 来る月もやはり赤字である。ということになるのじゃないだろうかと私は、今日はその光昭の一言を聞いてから、本当に教えられる思いがいたしまいした。おおざっぱなんです..ね。だからお互いの信心がね、おおざっぱでは、いうなら水も漏らさぬ信心、お蔭という事にはなりません。それこそ神経は小さく使わせて頂いてね、そして願いは大きく持たせて頂く。いうならば小さく生んで、大きく育てよということがあります..ね。いよいよこの月は、御大祭の月であります。それこそ御大祭に掛ける皆さんの願いというものが、まあそれぞれでしょうけれども、そこにはやはり止むに止まれない 一つの信心の熱情というものが掛けられなければならない。それから御本部参拝である。それから この三日には、あ...婦人大会があるという事です..ね。そういう例えば あ..婦人大会にしろ ご本部参拝にしろ..ね、いうなら御本部の御比礼を頂いて帰って、我が家の教会の御比礼ともせん。というのがいうなら御本部参拝だと思うんです..ね。ですからあ..本気でひとつ願わせて貰え。おおざっぱな信心から 目の詰まった信心。出来んの神様はご承知だから..では済まされないのが、金光様の御信心だと言う風に思います。出けんからそれを無理せろと言う訳ではないです。問題は自分の心に湧いてくる、止むに止まれないという神様への童念の心と申しましょうか。 先日、えー..( ?)さんのことでしょうか。ん..久富しげ雄さんが、毎朝私の足を揉んで下さる。その日は丁度締め切りになってましたから、高橋さんが締め切りの御用をして下さってあった..ね。その時に、この信心に熱情を掛ける..ね。情熱を掛ける..ね。いうならば 信心が燃えとかなければいけないと言うような、お話をしておる時でした。あのしげ雄さんが、言われる事を聞いて私は「ああ なるほどだ」と風に思うた事があるんですけど、この 人間というものは、そう思い続けるというにはいけない。けれども、そう燃え続ける時には、燃え続けなければ、分かると所が分からない。そして それが自分の心情ともなる。それが 自分のお..信心のね。血にも肉にもなるという所まで、燃えた信心をさせて貰わなければいけない。もう 自分のものになっと、というような事を聞いてああ、これは自分の体験を話しておられるんだな。と思わせてもらう。私の御用を頂いて下さるようになって、もう二十数年でしょうか。朝の御祈念にお参りをして見えて、そして、一寸、十二時前位まで掛かるんです。最後なお茶の道具なんか手入れされてから帰られますと..ね。それこそ まあね。まあ言うならばですね、まあ近所の信心のない人達は、笑っておった人達があった。まあ 皮肉やら笑われるやら、というようなこともあったけれども、二十年たちいうなら、三十年にもなろうというような信心になって来るころになって、段々はっきりする、はっきりして来た。小作農は自作農になり、田んぼは一反一反増えて行く。お陰で家庭が円満にお陰を頂いてそして、立派なお家が建って...ねしかもお月次祭あ合うと お..子供 娘 孫達まで それこそ二十名位はお参りして来る。というように 段々お陰を頂いて来た。そしてなら、しげ雄さん達結構なこっちゃある、こげんいそがしか、ネクタイどんはめちから、背広どん着て( ? )外に出て仕事しておられる所を電車で帰られるから、そういう風に言う者も 居る者無理はないけれどもね、それから人に又笑われるような.あ..所も通られたけれども..ね、それが段々実を結んできた..ね。人から笑われる時には、それこそ 頭に火が点いても分からんくらいな、云うならば上せとってじゃろうというような時もあったけれども、ほなら 今日、きょうもどなたかでしたか、私その方 丁度 しげ雄さん後ろにおりましたから、しげ雄さんに今の話をさせて頂いた事ですけども、云うならば、もうこれから これまでの信心はもう自分の物になってしまっておる。血に肉になってしまっておる..ね。朝起きも、朝参りも又昼頃までもかかろうかという御用も、又は、私が何処かへ行って、陰の形のようについて行かれる事も..ね。そいで、家の方も困ったと言うことになって行くかと言うと、ほなら ますます繁盛の一途をたどって行っておるという事実をね。分からせて頂いた時に、なるほど信心の熱情を架ける時には、かけなきゃならない。それこそどうすることが本当かという時に、自分好みの信心からでは生まれて来ない。神様を中心にしげ雄さんの場合は親先生を中心にでしょう..ね。神様を中心にしての信心にならせて頂いておったら、神様の方が久富しげ雄任せになってくださっておる事実が、久富一家の上に現れて来ておる。まあいうことになるのです..ね。だから もうこれ忙しい事は、神様も御承知だから暇の時だけ御用させてもらうと言いよったんでは、今の道は開けておらないと思うですね。そこににね信心の私は楽しさとか 喜びとかというようなものはね。あると思うんです。また信心の喜びがね、または楽しさが湧いてくるおかげでならなければいけないのです。 今朝から、私御夢を頂いた、その御夢というのが、もう本当にいつもの事ながら、神様が寝とん間もこんなに働いて下さる。というのはどういう訳だろうか、と何時も思うてみるです。私のいうならば夢の中か、夢のような話かと思わずに、皆さんが聞いて下さるならば、もうそれが、そのまま、神様のお声だな、思いだなと云うことが判る。 今朝から私、え..ある方が..あ..遠方から御参りをして参ります方。そしたら、自動車で参ろうとして居られると、ある方が「この、子猫をどっか途中捨ててくれ。」と「途中に川やらがあろうけん、川の中に投げ込んで捨ててくれ。」と言う訳なんです。そんなら、私が持って行ってから、途中で捨ててあげましょう。と言うて、預かって来て居られた。所が、段々ね、川も越えた、山も越えたで来よるうちにです。何とはなしに 川の中どん投げ込むような可哀想なことは出来んという(可哀想)という心が生まれて来た。段々合楽が近付くにつれて とうとうその猫を捨てる事が、もう忍びなくなってしまった。そしてこりゃ私が育てようと思うたというとこで眼が覚めた。そういう夢を頂いた。「どういう事だろうか?」と皆さんが何時も御理解頂れますように、え..猫と云うのは不浄と言われる。..ね。不浄とは成就しないと言うことだと、又は云うならば汚いもの。いうならば 一般に云われる不浄というのはね、赤不浄とか、黒不浄とかって言われます、いわゆる 罪 穢れといったような場合も不浄とこう申しますが、金光教では、不浄とは成就せんことだと仰るが..ね、例えば私共が生身を持っておる人間がです..ね。それこそ神様のような生活ばかり出来ない。いうなら無理難題と思うけれども神様におすがりしなければ居られないことがある。だからその不浄のと思うことでも、願わずにおられないけれども、その願っておる間に そこから合楽まで通うて来る間に捨てるのに忍びないと言うことになって来た。そして、可哀想だと思うようになって来た。そしてそれがね これはもう自分が育てようという心こそ神心だとこう思うです。その段階においてです..ね。いうなら 我情我欲のいっぱいの商売繁盛も良かろう。病気が治るという事も良かろう。けども 只商売繁盛だけで思うておったら、その間に段々内容が変わって来たということです..ね。そして、可愛いと言う心が生まれたり、自分が育てようと神心が生まれてくる..ね。そこに普通でも成就しないことでも 成就すると言うお陰の話を今朝から頂いたのですけどもね。 私共が、願っていることも一辺..え..つぶさに検討してみなければいけません。果たして自分が願っておる、願いが神様に喜んで頂くような願いで有ろうか? いやあ自分の願いは、神様が喜んで下さるに違いない。天下国家のことを祈っと、人が助かんなさことばっかりを願っておる。というて自分の助かりというものが無しに、いうならばね 祈りが大きいということではない。祈りが大きいから大きい信心とも言えない。 内容が充実いして来るものでなからなければいけない。神様の願いが充実する事の為のいうならば、私共の上に現われてくるそのお陰をです..ね。私共頂いたお陰をどういう史するかと言ったような所に焦点を置いてみると、自分の祈りがお粗末であることがわかります。そこで、そのないようをね、信心を確かめて行かねばいけない。 今日、午後の(?)福岡の松永さんが、お参りして見えた。今年は、今度の御本部参拝は、私共夫婦でお蔭を頂きます。それから弟さん方が、又今度夫婦でお参りが出来る。だからこれ、松岡さん、どうでも合楽では夫婦で御本部参拝が出来るような運動を一つ起こさないといけませんな。阿倍野辺りのご信者はもう家族中 いうなら会社であるなら社員一同が朝参りをするということです..ね。社員一同が、家族中がうち揃うて御本部参拝をするということです..ね。御本部参拝は毎月二千名というから、もう本当にびっくり致します..ね。それにはね、やはりそれだけの基がちゃんと出来ておる。常日頃に色んな難儀がある時には..ね、主人が家内に頼む。子供たちに頼む。これどうでも、これからお陰頂かねばならんから、お前達もかせいしてくれ。こういう風に すと子供も家内も云うならば付いて来る。まあ社長さんであるなら、社員の一同に「今度は、どうも手形が落ちそうに無いから、皆も一つお願い 神様の御祈念の加勢をしてくれ。」という風に頼まれるそうだ。そうすっと、まあ社長のいう事だから、皆社員一緒にお参りをする。そうすっとお陰を頂く。いわゆる勢神心のお陰です..ね。そうすっと今度はお参りしよる者もやっぱ難儀する、それぞれ持っておりますから、やっぱお願いをする。お陰を頂くということになって そういう働きが広がって行くと言うのが、阿倍野の御信心だと言う風まあ受け賜わっておりますけれども..ね。御本部参拝させて頂くなら、もうご本部参拝の時には、夫婦で親子でと言うような私はお陰を頂きたい。だからまず手始めに..ね、せめて日参は出来なくても..ね、御月次祭だけ位は、家族が内揃うて いわばお礼参拝にやらせて頂くというような まあいうならば運動はどうでしょうか..ね。そして、家族中の者で信心の話し合いが出来るような不陰気を作っていったら同でしょうか。そして、家族中の者で、例えばご造営ならご造営という事に当たらせて頂いたら、それこそ不浄の傘がない。お供えでも出来るのでないでしょうか。家族中が不浄の無いお供えでも出来るようになら..ね。それこそ1千万のお供えが出来りゃ、1千万円のお徳が受けられるというような、確かなお徳を頂きながら..ね..力を受けながら信心を進めていくという手立てを考えたらどうだろうか。と言う風に思います..ね。いよいよ信心合楽理念の実験実証ということは、たとえばその時、その時の頂きます。言うならば 御理解を実験する事、帰って一つ この次の月次祭から..ね、家内に言えばよい。子供達に話すが良い。そして、実験してみろうじゃないか。ともう、月次祭には、家族中でお参りする事に一つ決めて、決めようじゃないか..と 勢を揃えて、信心すれば、持ちあがらない石でも、一勢に掛け声揃えて持ち上げれば持ち上がるような道理とおっしゃるから、それを、実験してみようじゃないか。 お母さんは、そちらを持って、こちらを持つからというような生き方を実験する所からです。必ず実証が生まれるでしょう。 そこには、助からなかった、家内も子供も助かってきて、一願となった信心が出来て来るようになると思うんです..ね。ご本部参拝も、まだ合楽では、百名か二百名位な人数でございますけれども、今度の百年祭には、若先生申しておりましたが、「今度は( ?)お陰を頂きたいと申しております。」だから、合楽の人達がその気になったら、それこそ4百名ですか。のうご本部参拝位はもう言うに出きるだろうと思うんです。 ですから、もう..まあ何人か二、三名ありますか。えっ..まあ三人位ですかね。まだええ..ですね。いうならば、勢を揃えて月次祭位は家族でお参り出来るような、一つお陰をね、そういう信心を育てておかなければばいけないと思うのです。 一人で持ち上がらない石でも、大勢の掛け声を揃えて家族中の者が、声を 力を揃えられると言う信心。私共の信心が..え..色々考えて見ると、今日の御理解から言うと はあ自分達の信心もやっぱり大ざっぱだったなあ。と言うその大ざっぱな信心から、私が辿らせて頂いた 云うならば信心を今日は、少し聞いて頂いたが、そういう所にです思いを込めて、今度御大祭を迎えたい。ご本部参拝を迎えたい。又は婦人の..大祭にもそういう信心の稽古をさせて頂くつもりで、皆様して頂きたいと言う事になったら...ね。 いよいよ大祭になったら、いよいよ有難い月として頂けると思うんです。 どうぞ、宜しゅうお願い致します。